ブログトップ

botan123 の Bird Room

botan123.exblog.jp

小鳥と過ごして数十年。。。今は趣味で仕事の傍ら、約300羽の小鳥達に癒されています。

2017年 04月 09日 ( 1 )

戦後72年、先人達の犠牲により、今の日本は平和な国です。
でも隣国の危ない国々に囲まれ、この平和を守ることができるのでしょうか?。
あちらこちらで、テロがおこり、化学兵器や核の問題、
我が子や孫や未来の子供達の幸せを守るにはどうしたらいいのかな?と・・・
考えても、何もできない私ですが、只々、今のままの平和が続くことを祈るばかりです。
戦争を知らない私ですが、時々父が話してくれた、戦時中の話しを思い出しました。
私の父は、軍人でした。
幼い頃、よく父は晩酌をしながら、自分の手を広げ、「僕はこの手で、人を殺した。
でも殺さなければ自分が殺される。戦友が殺される。そんな状況お前に解るか?解るわけないよな。」
と言い頭を抱えながら、お酒を飲んでいたことを思い出しました。
戦争の傷、心に闇を抱えていました。
幼い私は、戦争の話を聞くのが、とても嫌でした。
でもその話の中で、いつも懐かしく思う話をよくしてくれたのは、中国人の親子の話です。
一人の子供が現れた時、他の日本兵がその子供に銃口を向けたのです。
父は「幼い子供だ、打つな」と叫んび、そして、中国語を話せた父は、
何しに来たのかと話を聞くと、「お父さんが、お腹の具合悪く薬を下さい。助けて下さい。」
と頼んだそうです。
父は薬をお父さんに飲ませました。お父さんのお腹の具合は治り、そのまま帰らせたそうです。
その時、我が息子と重なり、無事に大きくなるよう願ったという事でした。
その話をしながら、あの子は無事でいるかなあ。元気でいるだろうかといつも案じていました。
それから何十年ったったある日のこと、1983年か4年だったでしょうか?
下関の大使館から連絡がありました。父を大分前から探している中国人がいる。
話の内容で、父が助けたあの中国人の子供だったのです。
父の名前も憶えていました。
ビックリした父は、とても感激したようでした。
中国で、「水を飲む人は、井戸を掘った人を忘れない」ということわざがあります。
父を訪ねてきて、「私にお礼をさせて下さい。何かいる物はありますか?」
父は、「何もいりません。」と言ったそうです。
立派なった姿と、只々来てくれたことに感謝していました。
いつかもし、私が逢いにいけたら、日本まで来て、探して逢いに来てくれたことに、お礼を言いたいです。
長々と書きましたが、戦争のない、世界が平和になりますよう心から願います。






[PR]
by botan123 | 2017-04-09 10:20 | 趣味で編み物 | Trackback | Comments(3)